大判例

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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)485号 判決

控訴人 嘉悦そめ子 外一名

被控訴人 大久保武

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人等の連帯負担とする。

事実

控訴人等代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、被控訴代理人において、

一、本訴は、控訴人等と被控訴人との間に成立した昭和二十五年十一月十四日の準消費貸借契約に基く請求であるところ、右準消費貸借契約の前提たる米貨一千ドルの邦貨両替方依頼のための交付行為は、国家の政策的な禁止規定に反するだけのもので、社会の倫理観念に反するものでなく、仮りにそうでないとしても社会の倫理的観念に著しく反するものでないから、右一千ドルの交付行為は不法原因給付に当らない。従つて本件準消費貸借契約は適法有効である。

二、被控人が控訴人そめ子に本件一千ドルを交付したのは同控訴人の欺罔誘惑によるものであつて、このことは左記事由によつて明らかである。

(1)  第三国人に持逃されたとの控訴人等の主張が真実であるならば、控訴人そめ子はその直後被控訴人に対し被害報告第三国人逮捕のための連絡、弁償等のため何等かの連絡をするのが当然であるのに、これを全然しなかつたことにより、控訴人等の右主張の虚構であることは明白であること。

(2)  控訴人等は本件ドル両替の日の夜当時の住所から引越してその行方を全く晦したこと。

(3)  昭和二十三年四月鎌倉市橋口方で、控訴人そめ子が被控訴人に対し、本件ドルの両替金を全部費消してしまつたので即時返済の不可能なる旨を明言し、全額三十一万円の借用証を作成交付して数日中に親戚から借りて持参返済することを確約したこと。

(4)  右日時場所において、控訴人そめ子が被控訴人に対し支払金の一部金一万円の代物弁済としてその所有衣類等を交付したこと。

(5)  その直後、控訴人等は右住所を引越して再度行方を晦ましたこと。

(6)  昭和二十四年頃控訴人等が、木造瓦葺平家建居宅一棟建坪十二坪を新築し、昭和二十七年四月まで右家屋に居住していたこと。

(7)  昭和二十五年十一月十四日控訴人等は被控訴人に対し再度借用証(甲第一号証)を作成交付し分割弁済を確約したこと。

(8)  控訴人等が被控訴人に対し右支払金として昭和二十五年十二月十五日から昭和二十六年五月に至るまでの間九回に亘り合計金四万七千円を持参支払つたこと。

(9)  控訴人等が昭和二十三年頃ドル売買のために銀座四丁目のリンタク溜り場に出入していたこと。

以上のとおりであつて、控訴人そめ子は当初から計画的に両替方受託に藉口して米貨一千ドルを被控訴人から詐取したもので、被控訴人の本件ドルの交付行為が仮りに不法原因給付であるとしても、不法の原因は受益者なる控訴人そめ子についてのみ存するものであるから、控訴人等は本訴金員の支払義務がある。

三、以上の主張がすべて理由がないとしても、本件準消費貸借契約は不法原因契約を解除してその交付金員の返還を約する契約であつて、かかる返還契約は民法第七百八条の禁ずるところではないから、適法有効である。

と述べ、控訴人等の当審における主張に対して、

一、控訴人そめ子が一被傭者の身分であつたとの点は争う。すなわち、同控訴人が被控訴人経営の店舗に勤務したのは昭和二十二年二月頃から同年八月頃までの間だけで、本件ドル交付当時は同控訴人は被控訴人の被傭者ではない。

二、両替ないし売却を漫然とまかせたとの点は否認する。同控訴人は当時米軍物資の闇ブロカーで、米貨の闇取引について智識経験を有していたのであるから、同控訴人を信用して本件ドルを交付したことについて、被控訴人には何等の過失がない。

三、銀座の一喫茶店において即時に手渡したとの点は否認する。被控訴人は本件ドルを東京クラフトにて一旦同控訴人に見せた上、同控訴人に随行し喫茶店中条に赴いて同控訴人に交付したものである。

四、仮りに、本件ドル交付行為について被控訴人に過失があつたとしても、その過失とは同控訴人の欺罔誘惑(同控訴人が第三国人との両替後に持逃する意思を当初から有していたのにその意思がない如くに装つて両替方を申し込み誘惑したこと)を誤信したこと自体にほかならない。従つてその過失相殺権は発生しない。

五、仮りに、右主張が認められないとしても、本件ドル交付行為と同控訴人の第三国人との両替行為と本件準消費貸借契約とは、相互に全く別個独立のものであるから、本件準消費貸借契約は本件ドル交付行為についての過失により何等影響を受けるものではない。従つてその過失相殺権は発生しない。

六、仮りに、右主張が認められないとしても、本件準消費貸借契約の締結に際して、被控訴人の過失に基く債務額を控除することとし、その支払金額を、本件ドルの両替金額四十万円(公定換算額は金三十六万円、闇相場によれば約金四十一万円、同控訴人の引受金額は約金四十三万円)から金十万円を控除して金三十一万円とする約定をしたものであるから、その過失相殺権は既に行使せられ消滅したものである。

七、仮りに、以上の主張が理由がないとしても、本件準消費貸借契約締結は、控訴人等がその過失相殺権を放棄してなしたものであるから、その過失相殺権は消滅したものである。

と述べ、控訴人等代理人において、

仮りに、本件闇ドル取引行為が不法原因給付に当らないとしても、被控訴人が一米国人から邦貨に両替方を依頼されて保管中の大金である米貨一千ドルを一被傭者の身分にすぎない控訴人そめ子に重大な責務である両替ないし売却を漫然とまかせ、しかもこれを銀座の一喫茶店において即時に手渡した被控訴人には重大な過失が存するものというべきで、控訴人等が昭和二十五年十一月十四日強制的に作成された借用証に基き支払の義務があるとするならば、控訴人等は過失相殺を主張するものである。

と述べたほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

当裁判所は本件に顕われたすべての証拠を仔細に検討した結果、被控訴人の本訴請求を理由ありと認めるものであつて、その理由は左記のとおり、当裁判所の新な判断を追加するほか、原判決がその理由中に説明しているところと同一であるから、これを引用する。

当裁判所の新な判断

一、被控訴人が控訴人そめ子に交付した米貨一千ドルが連合国占領軍、その将兵又は連合国占領軍に附属し若しくは随伴するものの財産であることは、弁論の全趣旨に照して明かである。

二、当審における控訴人等各本人の供述中原判決の事実認定に副わない部分は、原審証人安川新太郎、金井保輝の各証言及び原審における被控訴本人尋問の結果に照して信用することができない。

三、元来民法第七百八条が不法の原因のため給付をした者にその給付したものの返還を請求することを得ないものとしたのは、かかる給付者の返還請求に法律上の保護を与へないというだけであつて、受領者をしてその給付を受けたものを法律上正当な原因があつたものとして保留せしめる趣旨ではない。従つて、受領者においてその給付を受けたものをその給付者に対して任意に返還することは勿論、さきに給付を受けた不法原因契約を合意の上解除してその給付を受けたものの返還を特約することは、同条の禁ずるところでなく、かかる特約が民法第九十条により無効と解することもできない。(昭和二十八年一月二十二日第一小法廷判決参照)そうして、かかる場合において、右のとおり給付したもの自体の返還を特約すると、給付したもの自体の返還の代償として当事者の合意による一定額の金銭の支払を特約することによつてその解釈を異にする理由は存在しない。これを

本件について考えてみるに、控訴人そめ子は昭和二十二年九月中被控訴人から米貨一千ドルを邦貨に替えることを依頼されてこれを承諾し、右米貨一千ドルの交付を受けたが、同控訴人はついに同控訴人が邦貨に替えてくるのを待つていた被控訴人のもとに帰来せず、その後一年余を経て被控訴人は同控訴人が鎌倉は居住していることを知り、同控訴人と交渉の結果、同控訴人は弁償として金三十一万円を支払うことを約し且つこれを消費貸借に改めたところ、その後同控訴人はその支払をしないまま、行方不明となつたが、被控訴人は漸くその所在を突きとめたので、昭和二十五年十一月十四日同控訴人に対し右債務の履行を督促したところ、同控訴人は右金三十一万円の消費貸借上の債務のあることを承認して昭和二十七年六月までに分割して完済することを約し、控訴人義人はその連帯保証をしたものであることは、当裁判所が引用した原判決の理由の事実認定によつて明かである。

従つて本件準消費貸契約の前提たる米貨一千ドルの交付行為が仮りに控訴人等主張のとおり不法原因給付であるとしても、特約に基く前記準消費貸借契約上の義務の履行を求める被控訴人の本訴請求には民法第七百八条を適用する余地がないことは、前記説示に照して明らかであるから、この点からしても本訴を不法原因給付の返還請求であるとして抗争する控訴人等の主張は採用することができない。

四、次に、控訴人等の過失相殺の主張について考えてみるに、控訴人等の全立証を以てしても控訴人等主張の過失の点はこれを認めるに足りない。のみならず、過失相殺は債務不履行又は不法行為に基く損害の賠償を求める場合に適用せらるべきものであるところ、本訴は債務不履行又は不法行為そのものを請求原因としてその損害を求めるものでなく、準消費貸借契約に基きその契約上の義務の履行を求めるものであることは、被控訴人の主張事実自体に照して明かであるから、過失相殺の法理は本件に適用すべき限りでない。もつとも、本件準消費貸借契約においては、その貸借の目的とされた債務は、

控訴人そめ子がさきに被控訴人との間に締結した米貨一千ドルの邦貨両替契約の不履行に基因して被控訴人に対し負担するに至つたものであることは、前示の事実関係に徴して明かであるけれども、本件における如く既に当事者間に準消費貸借契約が締結された以後においては、仮りに債務の不履行に関して債権者に過失があつたとしても、準消費貸借契約の締結に当つて債務者が過失相殺の権利を留保したものと認むべき特段の事情のない限り、右準消費貸借に基く債権者の請求に対し債務者は過失相殺の主張をすることはできないものと解するのを相当とするところ、本件においてはかかる特段の事情を認めるに足る何等の証拠も存在しないので、

控訴人等の過失相殺の主張もまた採用することができない。

してみれば、本訴請求を認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浜田潔夫 仁井田秀穂 伊藤顕信)

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